わたしのわたしによるわたしのための日記

来年から小学校教師の大学四年生。日々の誰にも言えない思ったことを書き起こすためのブログ。

新しい日々

約3年付き合った彼氏と別れ、新たな生活が始まる。

 

さみしさはもちろんあるけれど、お互いに気持ちも冷め、将来もちがい、付き合いを続ける意味がないという理由で納得して別れた。

こんな風にどちらも引き止めることなく別れることがあるんだと、少し驚いたし、冷めているのかなともおもう。

実際、気持ちは冷めていたのでその通りだが笑

 

ただ、この付き合いには本当に、感謝しかない。

初めてしっかりと向き合った人で、嫌なところを受け止めてそれも含め許しながら、目をつぶりながら好きだった。もちろん、文句なしに好きなところもあった。大人として、男としての余裕があるところや、要領がいいところ、静かに人を惹きつける接し方をするところ。

 

すれ違いそうになり、泣きながらも自分の気持ちを必死に伝えると、それを受け止めてくれたこと。

 

3年という長い時間をそんな人と過ごせてよかったと心から思う。

 

その期間の中で、いろんな一面が見えた。付き合って2年間くらいは、愛情表現をいつもしてくれていた。最後の1年くらいは、深い話もするようになり、お互いの将来に向けても努力するようになり、どちらかというと戦友のように支え合っていた気がする。

 

きっと彼は将来出世して、裕福な生活を送るんだろうし、もしかしたら手の届かない存在になるかもしれない。

そう思うとせつないが、自分は自分らしい幸せな生き方を見つけていきたい。

 

 

 

 

自分の色とは

中学生からのメッセージに、先生は他の人よりもキャラ薄かったけど、話したらとてもたのしくておもしろかったと書いてあった。

 

キャラ薄いという言葉言われたことなかったけど、たしかに他人から映る自分は、大勢の中にいると特に、強い個性がないと思う。

 

周りを見てみると、思いのほかキャラが濃い人は多くて、自分が面白みのない人間なんじゃないかとおもってしまう。

 

でも、素をだして関わった人たちには天然、面白い、正直、とか言われて、人と違う!と言われることもある…

 

どっちなんだろう?

と思うが、多分どっちもあってて、

 

大勢の中ではやはり目立たない人間で、でも関わってみるとよさがわかる人間なのだろう。

 

第一印象から関わりたいと思われるような個性だったり何か与えられるもの、自分の強みみたいなのが欲しいと思う最近!!

 

ただ、ないものを個性にすることはできないから、自分の中に眠っている言葉や考え、気持ちを掘り起こして、自覚して、発信していくのが解決策かな?

 

今のところ自分が自覚している長所、自分の個性は、

親しみやすいところ、優しい雰囲気のところ、正直なところ、言葉のチョイスが変わっているところ(長所にも短所にもとれるし、出るときも出ないときもある)、真面目なところ

 

逆に、短所は

気持ちや考えを即座に言葉にするのが下手なところ、思考回路が真面目なところ、存在感がうすいところ、引っ込み思案なところ

 

この自分の長所と短所、どうやったら強い個性にかえていけるんだろうか。

 

今思っているのは、自分の思いを言葉にするまでに、自分を客観的にみてしまって、「自分がわざわざ語る必要あるか?」とか、「目立ちたくなく、穏便に済ませたい」という気持ちがあるから、印象に残るような、人の気持ちを揺さぶるような言葉を残せないのだろうということ。

 

これから自分の思ったこと、感じたことや考えを言葉にしようと努力してみようと思う。

 

このブログを書くのも、その一環として、そして自分のことについて考えるためにやっていく。

もし見てくださる人がいれば、もしおんなじようなことを考える人がいれば、つながってみたい。

 

こういう自分の人に見せたくない部分を赤裸々に書いたことがないから、自分って思ったよりもネガティブな人間なのか?とか、病んでるなと思った。おどろいた。

でも意外とみんな考えることはあるのかもしれないから、もし共感できたらうれしい。

 

 

 

大きな課題1つクリア〜!!

小学校の教師志望だが、中高の英語の免許もとるので、2週間中学校に行ってきた。

 

終えてみての正直な気持ちは、中学校の先生は精神的にしんどくて、やるとしたらストレスがすごいだろうな〜という感じ。

小学校の子どもたちとは違って、大人に対して自分を見てほしい!知ってほしい!という勢いがなくて、基本的には冷めている。

冷めている生徒たちを相手にするのは、自分には、向いてない気がした。

でも、冷めているというのは、厳しい目で大人をみるようになってきた年頃だということで、教師が人としてどうか?というのをよりシビアに見極めるようになったということでもあって。

私生活で人気者の先生は中学生にも人気者だし、私生活でも目立つ先生は中学生にも注目されるというだけだ。

 

自分が自分の良さをわかってもらうまでに時間がかかる人間で、短期間で印象をのこしたり魅力をつたえたりする方ではないから、他の人と比べられる、というのは残酷だなぁと思う。

 

表面ではそこまではないが、静かに心を傷つけられた日々でもあった。

 

ただ、部活に顔を出す回数を重ねると、その部活の生徒とは最後に少し悲しまれるくらいには信頼関係を築けた。

また、班のメンバーとは励まし合いながら、最後まで頑張れた。

 

やっぱり自分は、大勢の人のやる気を出したり、人の前で人を引きつけてやるようなことよりも、人数は多すぎず、長い期間何かを一緒にやっていく関係の中で一番価値のある人間になれるのだと思った。

短期間で印象に残るようなわかりやすい魅力をもった人になりたいと思う気持ちもあるが、それよりも自分のよさを生かしていく方が、無理なく素の楽しさが得られるんじゃないか…

大人数の中で人を惹きつける魅力がないところは、教師としては向いてないと思うし、それは自分を一番苦しめてきた自分にはないものだと思う。でも、人を見捨てない気持ちだったり、本当は楽しいことが大好きな性格だったり、人と人をつないで、和やかな雰囲気にできるという自分のよさ(今のところ自分が思うに)はきっと教師に向いている部分で、そのよさを生かしきって子どもにとって信じられる、かっこいい大人でありたい。